東北一周(Part1)
こんばんは。連日の東北の寒さで、朝晩の活動が消極的になっているチャコペンです。夜はバイクに乗っていなくてもダウン着てますが、現地の人は薄着ですね。
東北一周に出てから一週間が経つので、少し日記を書きます。なかなか書けずたまってしまっています。
DAY 1 2016年10月16日(日)
自宅→松島→石巻
いよいよDデイがやってきた。とは言え、10月に入ってからすぐ関西に物件を見にいき、続けざまにある資格試験の2次を受けてすぐだった。出発日は漠然と中旬ごろを予定していたが、実際の日付を決めたのは2次試験が終わった日の夜だった。出発までに図書館で借りた本を読破し、移住先の物件も決めなくてはいけなかったため、プランを考えられなかった。本屋で東北の観光地を何個かピックアップしたが、ほぼいつものノープランだ。
朝5時出発。家を出てからわずか20分、朝が目覚めようとする夜明けのベイブリッジを通過した。出発直後から寒さに震えながらも、京浜工業地帯の朝焼けがこんなにも美しいものなのかとホレボレしていると、その10分後にはお台場を通過した。家から30分で来れるとは知らなかったので驚いた。6時頃、スカイツリーを右手に流しながら首都高を激走し東京を抜けた。しばらく走ると、利根川を渡り茨城県の守谷SAが見えてきたので休憩をすることにした。
スタートから1時間と少々走ったが、あまりの寒さと複雑な首都高の標識を見逃すまいとする緊張で、心身がガチガチになっていた。
約30分の休憩を経て再開後、茨城県と福島県で何度か休憩を挟みつつ、12時過ぎに宮城県入りしたところで高速を降りた。福島県では放射線量の表示がされていて、双葉町はダントツで高かった。国道6号が二輪走行不可になっているのも頷ける。南相馬鹿島SAでご当地の凍天という餅が入ったドーナツを食べたがおいしかった。それと、ETCは車載器がなくても、カードを窓口で出せば割引料金で走れることが自分の中で確かになった。
宮城に入り、まずは松島を目指した。松島は8年前に来たことがあったので、今旅ではあくまでおまけだ。被災地を巡るべく通ったにすぎなかったが、天気も良くやはり美しかった。
今晩は石巻で一泊することにした。ホテルは一泊3500円だったが、1LDKでアメニティも充実していた。夜はせっかくなので牛タンを食べに出かけた。
走行距離484キロ
DAY2 2016年10月17日(月)
今日は朝から雨が降っていた。合羽を着て6時出発。石巻から気仙沼はせっかくの海沿いのコースだったが、生憎の天気でモヤッとしていた。それでも三陸の海に浮かぶ島や岩が見事だった。ただ、仮設住宅や入口がやけに小さい仮設のセブンイレブン、至るところで防潮堤の工事や道路工事など復興作業が行われていた。
雨はだいたい午前中には止んだが、バイクや合羽がこれでもかってぐらい汚れた。それはまるで泥が降っていたかのように。
気仙沼の魚市場で、もうお互い退職しているが、前職で大変お世話になった方へギフトを送ることにした。そこで昼食もとることにしたが、メニューから海鮮丼を見落とし、日替わりを食べた。日替わりはかつおとたこだったがそれも十分おいしかった。
気仙沼から岩手県の陸前高田に入ると、そこにはボロボロの廃墟となった中学校がすぐ目に飛び込んできた。
近くには唯一7万本の松林から津波に耐えた「奇跡の一本松」があった。この松も海水によって枯死してしまっていて人工的に保存されているとのことだった。
さらに慰霊碑がある場所には廃墟となった道の駅が無残な姿で残されていた。慰霊碑に隣接して情報館があるが、ここでは津波発生前後を写真パネルで展示しているので、行かれたら是非見てほしいと思う。
これらの爪跡にまざまざと当時の出来事を見せつけられ、魂が震え、自然と涙があふれた。
陸前高田を後にし一関へ向かった。途中、名もなきところだがすばらしい景色に出会った。美しき日本の原風景。画家ゴッホの「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。」という言葉を思い出した。特に景勝地でもない、こんな日常の風景にこそ美しいものがあるのだと思った・・・僕からしたら日常の風景ではないのかも知れないが。。
走行距離206キロ
DAY3 2016年10月18日(火)
一関→平泉→花巻→盛岡
一関のホテルからすぐの平泉にある中尊寺に朝一で出かけた。いつものように着ていたダウンをメットインにしまい、重いリュックをワイヤーでバイクに回しダイヤル式南京錠でロックした。・・・やってしまった!!!人生初!!バイクの鍵をダウンのポケットに入れたままメットインに閉じ込めてしまったのだ。幸い携帯は手元に持っていたので、慌てて鍵の救急車的な所に連絡した。ところが、岩手は対応していないだの、15時になるだのと。かなり焦る。何社にも電話をして、折り返しの電話を待つ。ようやく一社から13時に来れるという連絡がもらえて胸をなでおろした。お昼ごろになって別のもう一社から、結局対応可能な業者との連絡がつきませんでした、と連絡があり、もうええわ!と思った。
初めて鍵の救急車的なところに電話したが、どこも平泉の中尊寺と言っても住所は?と聞かれた。まぁそういうマニュアルとわからなくもないが、もうちょっと何とかならないか。13時に業者をよこしてくれた窓口も、場所を確認して折り返しますとのことで一旦電話を切ったが、中尊寺と言ったのに、毛越寺でよろしかったでしょうかと折り返してきた。・・・窓口が場所を確認できないと話が進まないので、焦りで苛立ってしまった。
12時前に業者があと30分ぐらいで着くと連絡があった。その間、中尊寺をゆっくり見学していたのでちょうど良かった。バイクに戻ってリュックにかけたワイヤーのダイヤル式南京錠を開けようとしたが、なぜか開かない。さっき焦って何かの弾みで番号が変わってしまったのか。再び全身から冷や汗が出たが、こういう時は少ししかズレないはずと冷静に一個ずつ試していくと割とすぐに解錠できた。そうこうしているうちに、業者が到着し、何度か試しながら30分ぐらいで開錠してくれた。2万円と引き換えに合鍵をもらったが、どうやらバイクのキーにはイモビライザーが付いていたので、合鍵はメットインを開けるだけしかできない。でもそんなことはどうでもいい。開いたのだ。
あと中尊寺の駐車場の係員にATMの場所を尋ねたが、4キロぐらい離れたところの銀行に行かないとないと言われた。しかし、中尊寺の中にATMはあった。あやうく往復8キロを歩くところだったので勘弁してもらいたい。
ちょうど業者とのやりとりが終わったところで、隣に駐車していたバイクに戻ってきた若い男の子が僕のナンバーを見て話しかけてきた。その男の子はいわきナンバーだったが、東京の大学生で東京から東北を周って実家のいわきに帰るとのことだった。意気投合し、近くの厳美渓まで一緒にツーリングすることになった。他人とツーリングしたのは初めてだったが、すごく楽しかった。鍵を閉じ込めて時間とお金をロスしたが、プライスレスな友達を得たのだった。
厳美渓も見事な景勝地で、空飛ぶ団子なるものがあった。注文すると団子がワイヤーにぶら下がったかごに入って対岸から送られてくるのだ。到着したときの衝撃にもお茶がこぼれない絶妙な設計になっていて驚いた。しかもそのお店の独占だから考えたものだ。
厳美渓から戻ってきた街道で男の子と逆方向に別れ、花巻に向かった。花巻には宮沢賢治童話村というのがあって、童話の世界に浸れるとのことを本屋で見ていた。宮沢賢治は銀河鉄道しか読んだことないが、楽しそうだったので行ってみた。しかし、閉館時間2分前ぐらいに着き、ダメもとで受付に聞いてみると、10分ぐらいならいいとのことで、入館させてもらえた。本当に親切でおかげで貸切状態を十分に堪能することができた。
そこから盛岡へ移動し、わんこそばに挑戦した。お店の前でバイクの駐車場を尋ねようと電話したら、お店から出てきて、従業員用の駐車場を使わせてくれた。
大学生5人組みと僕の3人づつで給仕してもらった。3人のときは余裕だったが、2人になったらペースが速くなり蓋を閉じれないんじゃないかと危機感を感じ一番最初に蓋を閉じた。それでも111杯だった。平均は80杯ぐらいだそうだが、味もおいしくて薬味もたくさんあったのでいくらでも食べれそうだったが、さっき団子を食べていたので、早々に蓋をした。しかもその後にデザートが運ばれてきたのだから正解だった。100杯を超えると証明書とは別に木札ももらえた。
その後、ネットカフェで3時頃まで漫画を読んでしまった。
朝一でドン底に落ちた運気はすっかり回復していた。一日のなかで運気が上下していることを実感する日だった。
走行距離133キロ
続く
関連記事