移住までの話(上巻)
こんばんは。念願の関西に移住を果たしたチャコペンです。これから関西ライフを満喫します。
移住後1本目の記事は、時を遡らせ、退職後から移住までの話について書きます。
9月末日をもって勤めていたところを退職しました。
それからすぐの10月4日、5日、6日と関西に物件を見にいっていました。そうです。仕事はもちろん住むところも何もない段階で仕事を辞めてしまったのです。
唯一在職中にやっていたことは、ネットで大阪周辺のシェアハウスを探していました。なぜシェアハウスかと言うと、下記の漠然とした理由からです。
- 関西に知り合いがそれほどいないため、シェアハウスなら手っ取り早く知り合いができそう。
- 世界一周中はゲストハウスやユースホステルのドミトリーによく泊まって楽しかったので、シェアハウスでもやっていけそう。
- 無職でも審査がゆるそう。(実際にゆるいかはわかりません)
- 大阪なら仕事がありそう。
欲を言えば、新卒のときに2週間ホテル暮らしをした、吹田市の千里周辺がいいなと思っていました。梅田まですぐ行けるのに、閑静な住宅街というイメージがあったからです。または阪急沿線かなとも思っていました。関西には阪急ブランドなるものがあるみたいですが、それを知らなくてもやっぱりいいなと思わせるところはさすがです。それがブランドというものなんでしょうか。あとは、とりあえず大阪の北の方(梅田周辺)が良かったです。大阪の南の方(難波周辺)は治安もさることながら、コテコテすぎて関東の人は住みにくいとのネットの書き込みを見たからです。まあ大阪で治安なんて言ったらどこも悪い、北の方がまだマシって程度らしいですが。
とは思ってても、自分の条件に合うシェアハウスは希望するところにはなかったり、満室だったりで。そうなってくると、もう場所はそこまで気にせずに、目ぼしい物件を見つけたら連絡を取り、バイク置き場の有無と無職でも入居可能かだけを確認しました。
そして実際に内覧した物件は、京都1件・大阪8件の計9件でした。すごい偏りですが、1日3件づつ見てまわりました。
初日は、前日から夜行バスに乗り、京都に降り立ちました。不動産屋さんとの待合せまで時間があったので、物件の近辺を歩き雰囲気を確かめました。が、やはりそこは京都、めちゃくちゃ良かったです!しかし、その後に見た肝心の物件はというと、正直落胆を隠せませんでした。
これを皮切りに、残りの大阪の8物件全て見て、再び夜行バスで帰りました。
往路の夜行バスで京都に向かっている途中、時刻は午前3時10分ぐらい、浜松の先あたりで、すさまじいうめき声と振動を感じて目の前がグラングランしていました。今思えば、たぶんトンネルとかで段差があるところを走っていただけな気がしますが、寝ぼけていたせいかすごく怖くて自分もうめき声を上げてしまっていたかもしれません。少なくとも記憶では、外に漏れてたかはわかりませんが声を発しています。。
4日に泊まった大阪のゲストハウスは、外国人がよく泊まっているということで、ドミトリーで中国人女性と話しました。こういうときにもiPhonの便利さが身に染みます。
5日に泊まったところは、ドミトリーでしたがあれはただのカプセルホテルというやつだったのかなと思います。やっぱり日本人だけ、何よりも他人と接しようなんてつもりはないという雰囲気をビンビンに出した人たちなので、誰も一言もしゃべりませんでした。暇だったので晩ご飯ついでに近辺を歩くと、夜も22時半ぐらいでしたが、公会堂前で外国人女性バックパッカーが一人呆然と立っていました。話しかけてみると、日本人の名前を出されて、その人を待ってるとのことでした。イタリアから来日されたそうで、幸運を祈って別れました。
物件内覧の途中、時間が少し空いたので住吉大社に行くことができました。4棟全て国宝の本殿は圧巻でした。
大阪のある駅前にはぎょうざの満洲という店があり、看板に「3割うまい」と書いてあります。・・・何より!?と突っ込みたくなり、職場の大阪人にLINEすると、知らんと返ってきました。王将にケンカ売ってるなとも返ってきたので、なるほど、とよく見ると斜め向かいぐらいには、餃子の王将がありました。ちなみにその大阪人も満洲なんて見たことないと言うのでウィキってみると、埼玉県の会社で関東の方が圧倒的に店舗ありました。見たことなかったです。また王将にケンカを売ってるわけでもないそうです。
大阪のおばちゃんのほとんどの自転車にはこういう便利な装備がされていました。関東では見たことがないです。
大阪のおっちゃんは、独り言をつぶやいて歩いていました。それがデフォルトで、そこから、イカしたダブルのスーツを着ていたり、ピカチュウの帽子をかぶっていたりオプションが付きます。そんなのを数時間で何人も見てしまったので、これはヤベえとこだと思ってしまいました。公園ではおっちゃん同士が将棋で対局していて、何だか中国のように感じました。まさにカオスな街、大阪です。
あとで、前述の大阪人に話してみると、全然普通とのことで、もっとヤベえ奴の話を聞かされました。
戻ってきてからは、その6日後にあった資格試験の勉強をして受験しました。
受験後は、実家の部屋の片付けや移住先の物件の検討やらに追われ、16日の早朝に東北へ旅立ちました。
東北旅は以下の通りです。
東北から帰還する少し前の26日の夜に、勤めていたところの先輩から、29日に中華街に行くとの連絡をいただきました。まだ山形県にいた僕は参加を保留にさせていただきました。当初は福島県は周らない予定でいたので、もうあらかた東北を周り終えた感はありましたが、まだいつ帰れるかはわからなかったからです。しかし、次の日に思っていたよりも早く南下が進みました。27日に福島県の会津まで来ることができたことと、せっかくお誘いいただいたということで、28日に帰ってきた次第でした。
続く
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