セブンチョーク 

ミニマリスト 旅 日記  by チャコペン

移住までの話(下巻)

こんばんは。昨日、1カ月ぶりにスーツに袖を通したチャコペンです。

前回の続きですが、移住までの話はこれでお終いです。BGMはtoe - グッドバイ PV / "Goodbye" Music Video - YouTubeでお願い致します。 

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11月7日

いよいよ旅立ちの日。たまたま大安でした。まさに、『いい日旅立ち、西へ』です。

朝7時半頃、両親に見送られて相棒のオレンジ・ボーイ(バイク)と出発しました。

今旅は全行程下道の旅。8日15時までには物件に着かなければならなかったので、時間に余裕を持って出かけました。

9時に箱根湯本を通過し、箱根峠の道の駅で一服しました。厳寒の箱根にはホットな紅茶花伝が染み渡ります。

自宅から約70キロほど走ったところで、30年の歳月を過ごした愛する神奈川県を出ました。
その直後に三島スカイウォークというものが姿を現しました。初めて見ました。よく来ていた箱根のすぐ裏にこんなものがあったとは知りませんでした。

日本最長 富士を望む大吊橋 三島スカイウォーク

日本一の吊り橋と富士山のコラボ、美しい景色に後ろ髪を引かれながらも、今日はなるべく距離を稼ぎたくて先を急いでいたため、通過してしまいました。また来ればいいのです。

沼津にやってきたところで、唯一立ち寄ろうと考えていた浜松のある場所を検索してみると、本日休業の文字が。ショックでした。
それはジブリ映画『魔女の宅急便』に出てくる「グーチョキパン店」さながらのパン屋さんで、その名も「ぐーちょきぱん」。

ぐーちょきぱん | 浜松の手作りパン屋さん

お昼にちょうど宇津の谷峠という道の駅に着いたので食事を取りました。なんてことのない牛肉うどんにすごく魅力を感じて、他と迷いながらも注文しました。f:id:chalkpen:20161115183048j:plain

藤枝あたりを走行中にBATHCLINの大きな文字が目に飛び込んできました。それから瞬く間にとんでもなくいい香りが。後で調べてみるとバスクリン静岡工場でした。

時刻は14時半、250キロ走ったところで静岡県を抜けて愛知県豊橋に入りました。静岡県内はほぼずっとバイパスで高速いらずな印象でした。

それから1時間後の15時半、300キロ走ったところで、午後のやわらかい光に包まれた岡崎城がどっしりと構えていました。

写真等で見る絶景といわれる景色も、天候や時間などの条件によって美しさは天と地ほども上下しますが、それを捉える自分自身の気分や気持ち、状況なども景色の美しさを左右していると僕は思っています。僕にとって、今この瞬間が一番いい時間、好きなタイミングでした。

この二度と訪れることのない絶妙なタイミングに、バイクを止めて見ていたい気持ちになりましたが、気持ちとは裏腹に行動に移すことができず、通り過ぎてしまいました。少し後悔しています。次回似たようなタイミングに出会えれば嬉しいです。

夜がすぐそこまで迫ってきている17時前に三重県入りし、四日市でガソリンスタンドとコンビニに立ち寄りました。そうこうしているうちに、街が完全に闇に覆われてしまいました。今日はこの辺の漫画喫茶で一泊することにし、20時からのナイトパックになるまでイオンで時間を潰しました。

走行距離380キロ

 

11月8日

8時前に出発。昨日だいぶ距離を稼いだため少し余裕がありました。
1時間ほど走ると、東海道五十三次の47番目・関宿に着きました。ここには2009年の2月に訪れたことがあり、駅の待合室みたいなところでストーブにあたりながら電車を1時間ぐらい待った記憶が蘇りました。

鉄道の関宿駅に隣接する、道の駅の食堂にオープンの9時ちょうどに入店し、名物料理みそ焼きうどんをいただきました。ちなみに昨晩はみそかつを食しました。この辺の味噌料理は僕の好物で、でらうみゃーです!f:id:chalkpen:20161115183743j:plain

朝食で体温を上げて、再び走り始めました。自宅から427キロ走ったところで滋賀県甲賀に突入、ついに近畿圏に入りました。ところで甲賀を今までずっとコウガと読んでいましたが、道路標識の英字はkokaになっていて驚きました。

それからしばらく走り、草津に入ったところの道路標識に大津19キロ、そしてようやく現れた今旅の終着点、そして移住先である・・・京都26キロの文字が。

そして今か今かと京都に入る瞬間を待ちわびながら走っていると、どうやらいつの間にか京都に入っていたようでした。そして雨が降り出しました。京都はさすがに手厳しい。歓迎されていないようです。
そして正午になる頃、物件に到着しました。

走行距離120キロ

総走行距離500キロ

 

ちょうど500キロ走りました。
だいたい自宅から国道1号を走ってきましたが、そこには見慣れた国道1号の標識と全く見知らぬ景色がありました。同じ国道1号沿いに暮らしていても、それぞれの土地の暮らしがあるわけで、それが当たり前ですが、なんだか不思議な気分でおもしろく感じました。

そしてあれだけ大阪と言っておきながら京都にした訳は、「住めば都」よりも、京都市が謳う「住むなら京都(みやこ)」がいいと思ったからです。

http://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/cmsfiles/contents/0000194/194652/movetokyoto_a4.pdf


正直、物件はそんなには気に入りませんでした。しかも大阪に比べれば仕事も多くはないです。それでもそれを凌駕するぐらい、この街が気に入ってしまいました。仕事のことよりも何よりも、自分の好きな土地で生きたい。そう願って移住を決意したので、自分に正直にしました。どうなろうと他の誰でもない、全て自己責任です。

今はまだ何も見えてません。ただそれは、お先真っ暗で何も見えないのではなく、希望のまばゆい光で眩しくて何も見えない。ということで。

京都ではんなり暮らしていきます。f:id:chalkpen:20161115185005j:plain

関東でお世話になった皆様、本当に心からありがとうございました。関西にお越しの際は、是非ご連絡いただければ幸いです。
そして関西の皆様、これからよろしくお願い申し上げます。

 

ではまた。

 

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